【読書記録】滝山コミューン一九七四
コミューン(仏:commune)
「共通」「共同」「共有」「多数」「平凡」「庶民」の意。
新しい価値観、生き方を模索し共同生活を営む者による小規模な共同社会。
戦後の人口膨張、農村から都市への人口流入にともなう住宅不足解消のため
1955年に発足した日本住宅公団は、郊外の山林原野を切り開き、
数百・数千戸規模のマンモス団地をいくつも開発していきました。
住居タイプの大半が核家族を想定した3LDK。
日本の各地で数万人の人々、数千世帯の家族が、
同じ時期に、ごく限られた空間にて、共同生活を始めることになったのです。
そんな団地のひとつ、滝山団地。総戸数は三千八百戸。
団地の子どもが生徒数の大半を占める、東久留米市立第七小学校。
物語は本書の著者、原武史の回想で綴られています。
「あたらしいまち」で何がおこっていたのか。
原少年が小学校高学年時代を滝山団地で過ごした1970年代前〜中期、
大都市郊外の教育現場や地域社会ではいくつかの重要な変化が生じていました。
◇教育
・PTA改革
1970年代まで、多くの地域におけるPTAの中心となっていたのは
自民党支持層である地域の有力者(地主層)、自営業者、
彼らの指示を受けた校長や教頭でした。
ところが70年代以降、宅地開発の影響で新住民が大量に流入する自治体がふえたため、
それに合わせて、PTAを開かれた児童のためのものにしようと志向する主婦層が
会長や委員に進出。徐々に実権を握っていきます。
当時の教職員組合のなかには、彼女たちを積極的に支援した組合もあったそうです。
・「学校集団作り」の伝播
「学校集団作り」とは日教組を基盤とする
「全国生活指導研究協議会」(全生研)という民間教育研究団体が
提唱した教育メソッド。
旧ソ連の教育者、A・S・マカレンコの理論を援用したもので、
「大衆社会状況の中で子どもたちに生まれてきている個人主義・自由主義意識を
集団主義的なものへ変革する」ことを目的とする。
具体的には、学級のなかに「班」を作り、学校行事、課外活動などの機会に
ポイント制・減点制(「班のだれかが遅刻したら‐1点」など)を活用し、
班ごとに優劣を競わせるということをする。
このメソッドは60年代の中期から、全国の初等教育の現場に伝播していったといいます。
◇地域社会
・革新自治体の台頭
東京の美濃部都政、名古屋の本山市政、神戸の宮崎市政など。
1970年代前〜中期にかけて、日本社会党や日本共産党支持層から集票した首長が
「憲法の理念を地域に」というスローガンのもと、
社会教育事業を推進。この事業の薫陶をうけ、地域では
主婦を中心にした主体が反公害運動、消費者運動、生協運動などを展開しました。
また、都市の拡張に対して追いついていなかった社会インフラ
(ハード:道路など/ソフト:同和教育・高齢者支援など)
の整備が進んだのも、この時期です。
・新しい住民組織の台頭
戦後、特に1960年代後半頃まで、日本の大都市郊外に存在する住民組織は
地元の自営業者を中心に構成される自治会や町内会、
専業/兼業農家を中心に構成される農業組合ぐらいのものでした。
ところが60年代後半以降、核家族・ニューファミリーが住まいを求めて
郊外へ進出すると、婦人会や子供会といった彼らの生活に関わる相互扶助組織が
台頭していきます。
また創価学会や立正佼成会などの新宗教は、
地方から流入し地域で孤立する住民に訴求することで、
地域の中で一定の影響力をもつ共同体を形成していきました。
これらの動きはどれも密接に関係しているのですが、
いくつかの共通した特徴を抽出できるでしょう。以下の通りです。
①主婦や子どもといった従来の政治から排除されていた層の、政治的主体としての目覚め
②階層・性別・年齢など、類似した属性の個人からなる集団が展開する(社会)運動
これらの新たな動きは光と影を生み出しました。
○温情主義と集団による自我の抑圧
上記の変化は決して非難されるべきものではありません。
日本国憲法の理念があまねく国民に浸透した、といえるのかもしれない。
ところが、新しい政治主体を導いていたものが、
実は特定の扇動者であったり、閉鎖的・抑圧的なイデオロギーであったなら。
新しい社会運動が実は、個人の創造性から立ち上がる集合的表現ではなく、
属性を同じくするというだけで有無を言わさず強いられる賦役であったなら。
それは私たち一人ひとりにとって、歓迎すべき共同生活の姿でしょうか。
原少年が滝山団地、久留米市立第七小学校で感じたものは、
まさに温情主義によって操作された集団が作り出す共同体(コミューン)の欺瞞です。
本書はその告白、目撃録です。
ごく個人的な目が、日本戦後思想の蹉跌を浮かび上がらせます。
民主主義は「みんな仲良し」「みんな平等」「みんな幸せ」という
牧歌的なシステムではない。
少数派は暴力によって統制され、多数派は彼らを撲滅・排除しようと欲望する。
政治が資源の分配に関わるものである以上、これは比喩ではなく現実です。
その舞台が地域であっても国家であっても。
少数派を自認するものは同調圧力に屈せず強かに主張する技術を、
多数派を自認するものは安逸な生の背後に潜む暴力への想像力を。
私たちはみな、飼われているのでも飼っているのでもないのです。
【読書記録】食の共同体―動員から連帯へ―
食の共同体―動員から連帯へ―
池上甲一/岩崎正弥/原山浩介/藤原辰史
ナカニシヤ出版
ひょんなことから「食育」に関する博士論文を講読する機会をいただき、
参考文献として手にした本です。
私はどちらかというと、「飯ぐらいは一人でゆっくりと食べたい」
と思ってしまうタイプなのですが、親しい仲間と囲む鍋など、共に食べるという行為から
生まれる共同性については、実感できるように思います。
このような俗なレベルでなく「聖」のレベルでは、宗教に内含される食に関する様々な禁忌
(「イスラームでは豚肉食が忌むべきものとされている」など)
は人々に強い連帯意識をもたらし、信仰共同体を支える基礎となっているということも
指摘できるでしょう。
ところが共同体の連帯あるところに統制と排除の欲望あり。
本書では「米食共同体(日本人=「米」言説)」「ナチス」「有機農業運動」「食育運動」
を分析対象に、執筆者はそれぞれに潜む統制と排除の論理、イデオロギー構造を明らかにしています。
どの論文も示唆に富む内容なのですが、本稿ではそのなかから
「第4章:安心安全社会における食育の布置」を取り上げ紹介いたします。
(やはり、参考文献なので…)
○前提
食育について論じる前に、そもそも
①「食育」とはどのように定義されているか(どのような意味や機能を与えられているか)
②「食育」ということばがいつごろから世の中に登場し、その必要性が訴えられるようになったか。
といった前提を押さえておかなければなりません。
①食育の定義と意味・機能
「食育」は2005年に成立した食育基本法によって、以下のように定義されています。
◇子どもたちの健全な心身、「豊かな人間性」を育むもの
◇食生活の「乱れ」や食の安全に関する問題、伝統的な日本の「食」が失われる危機に際し、
「国民運動」としてあらゆる主体の関与のもとで推進されるべきもの
◇農村漁村の活性化と国の食料自給率向上に資するもの
…と非常に多様な意味・機能を期待されています。
②「食育」の登場
2001年10月に初めて発生したBSEは、生産者/消費者の食の安全意識に働きかけ、
経済的影響も非常に大きなものでした。
BSE問題への政府の反応は早く、翌月には調査検討委員会を立ち上げ、
翌年4月に「BSE問題に関する調査検討委員会報告」をまとめます。
この文書に初めて、政府文書内に「食育」の文言が登場したのです。
従って、「食育」の登場はBSE問題→食の安全問題を直接のきっかけとすると
認識して間違いはないでしょう。
○要点
上記の定義と経緯を踏まえ現在、食育はどのように展開されているのでしょうか。
・「国民運動」―多様な動機をもつ様々な主体の関与―【p199〜p212】
食育は上記の定義の通り、政策化されていながら(政策的裏付けがされていながら)
きわめて多様な意味・機能を想定されています。
すると「食育」を自らの活動にお墨付きを与える象徴(シンボル)として使うことを目論む、
様々な主体が現れてくる。例えば…
◇行政(霞が関/地方自治体)…農水政策、地方経済対策の根拠として
◇教育関係者…生徒の食生活管理→生徒の秩序化の根拠として
◇栄養管理関係者…保健上の食生活管理の必要性を正当化するものとして
/新たなマーケット創出
◇ファーストフード業界/スナック業界
…ブランドイメージの再構築(「ファーストフードは身体に悪い」)
/新たなマーケットの創出
◇流通業界…新たなマーケットの創出
◇地方農漁業関係者…産業活性化のチャンス/生産者と消費者の交流機会獲得
現状では、教育、地域第一次産業活性化、保健、マーケット創出など
多岐にわたる意味や機能が「食育」という言葉のなかに混在しています。
今後、「食育」がこれらの特定の意味・機能に収斂していくのか
またはさらに新たな意味や機能が付与されていくのか、は不透明と言えるでしょう。
○食育基本法に通底する思想
本論文の著者は国政主導で制度化され、推進されている食育には、
国家による国民の動員・統制と排除の論理が見え隠れすると主張しています。
・日本型「伝統的」家族・「伝統的」食事習慣への回帰志向
―画一化された食育推進主体と「場」の想定イメージ―【p213〜p222】
食育基本法では、食育推進の「場」として家庭を重視する姿勢が文言の行間から読み取れます。
またその家庭は、「家族が一堂に介して団欒しながら食事をとり、
その場に応じて箸の持ち方や食前食後のあいさつ…(中略)などを
親世代が子ども達に伝えていく家族」が想定されています。
つまり「お父さんとお母さんがいて、きちんと手間をかけた料理
(ご飯・味噌汁・焼き魚・副菜etc…)があり、きちんとした食器や食卓、調理器具が
そろっていて、子ども達は行儀よくお父さんとお母さんの話を聞く」
というある種の経済的・生活習慣的ハードル
(現代においては狭き門といっていいのかもしれない)が設定されている。
換言すれば、執筆者は性的役割分業や家父長制といった批判の多い旧来のシステムと
親和性のある主体(主婦など)が、食育基本法では暗に想定されているのではないか、
と指摘しているのです。
上記のイメージに依拠した家族像は、おしなべて批判されるわけではないのですが、
少なくとも食育基本法には
・ひとり親家庭で親がパートに出ているため、食事は買ってきたものか
両親が作りおいたもので済ます子ども
・家や食を失い、炊き出しで食いつなぐ人
・多国籍で年齢も異なる複数の人間とルームシェアをしていて、
夕食の当番はあり人数分作るルールは設定してあるものの強制力はないため
朝帰り、昨日当番が作っておいてくれたボルシチを朝ごはん代わりに一人で食べる人
といった主体を全く想定していません。
従って国民に硬直化したライフスタイルを推奨している、という批判は妥当かもしれません。
・新自由主義志向【p193】
食育基本法はBSE問題を背景に「食の安全→安全な食事を自己責任で選択する」という
アメリカ発祥の「フードチョイス」という概念を取り込んでいます。
理念としては食品表示などを正確に読み取れるような、
食に関する情報を適切に取捨選択する主体を育てるというものです。
しかしこの理念も、
◇選ぶ能力を十分に開発する余地のない主体(日本語教育の機会が与えられていない外国人など)
◇選ぶ余地のない主体(経済的事情で安いものしか買えない人など)
を排除する危険性を内含しているうえ、
◇生産性や利益を鑑みながら安全な食を供給するネットワークの構築
◇「汎用性があり低コストで流通可能な食品情報とは何か」という問い
を、消費者(食品選択者)を消費行動選択という狭い範囲に閉じ込めてしまうことで
多様な主体が連携して、食に関する問題を考察・深化・利害調整するきっかけを失ってしまう、
という機会損失のデメリットが指摘できるかもしれません。
※ただ、政府は食育基本法において「食に関する情報を適切に流通させること」をうたっています。
とはいえ食育の理念が「膨大な食の情報に追われ、食の情報の意味を吟味する余裕のない」状態に
消費者を追い込んでしまう危険性については、おそらく無自覚でしょう【p209〜211】
○本論文に対する疑問 ―反権力・権力批判の技術―
本論文で指摘されている上記の思想は―誤解を恐れずイデオロギーと言い換えましょう―
「食」という日常的・身体的実践の繰り返しによって慣習化することから
非常に見えにくいものです。
また、「食育」→「健全な食によって健全な心身を育てる」という建前自体は、
特に批判すべきことではないようにも思えます。
このように潜在化しがちなイデオロギーを明確化し、書き出しているという点で、
本論文は食育政策の思想的妥当性を問いなおす、貴重な意義があるといえます。
ただ、執筆者は権力(国家)によるイデオロギーや支配の論理を、
政策や制度の観点から指摘するにとどまり、
実際に「食育」が人々から(運動主体を含む)どのように受け止められ、
どのように実践されているのか、という観点を盛り込んでいません。
(例:「食育」の現場である学校や、調理室のなかで、教師や給食調理者、
生徒がどのように食育を認識しているか?
→先生も生徒も、実は「食育って何?」とか「食育なんていらねーよ」
と思っているかもしれない)
そのため、権力のイデオロギーがあたかも我々(「食育」を意味づけ、実践する主体)に
そのまま作用し、何の支障もなく我々を動員できるものとして、
かえって権力のイデオロギーを「強調」してしまうことが想定されるのです。
反権力の主体は権力のイデオロギーに固執し、危険性を訴えるほどに
権力に容易に操作される「弱い主体」を想定してしまうというパラドックス。
そしてこのパラドックスは、いずれ保護主義に変化する。
戦後左翼が今なお蘇生できない理由も、このあたりに垣間見えるように思います。
【読書記録】OLたちの―サラリーマンとOLのパワーゲーム―
OLたちの<レジスタンス>―サラリーマンとOLのパワーゲーム―
小笠原祐子著
中公新書
レジスタンス(resistance)は一般的に「抵抗」という日本語に訳されますが、
社会学や人類学、政治学の分野において、このことばは「弱者の武器」という
ニュアンスを付与されています。
タイトルが示すとおり、日本の企業社会において「OL」と呼ばれる人々は
(本書の概念では①正社員として、現在および将来にわたって管理的責任をもたない
②深い専門的もしくは技術的知識を必要としない一般事務的、補助的業務を行う
③1985年の男女雇用機会均等法成立後はコース別人事において「一般職」と表記された女性)
男性中心の企業風土のなかで、昇進や昇給の機会を制限され、
あいまいな勤務考課(OLの仕事は、グループで男性社員の「補佐」をする色合いが強く、
個人の仕事の出来を評価されにくい)ゆえに職務権限を抑えられた「弱者」として
扱われてきました。
ところが、弱者としての「OL」はその立場の弱さを逆手に取り、
男性社員に対してさまざまな「レジスタンス」を展開していく。
気に入らない男性社員や上司に対するサボタージュ、ボイコット、総スカンなどの手段を用いて…
著者はOLのレジスタンスを可能にする職場の制度、人間関係、家庭との距離などの
いくつかの要因を、インタビューによって明らかにしていきます。
○要約
本書の中心コンテンツはおそらく「第2章:ゴシップ」
「第3章:バレンタインデー」「第4章:OLの抵抗の行為」でしょう。
そのなかから、本稿では第2章をとりあげてみましょう。
OLたちは、男性社員の仕事ぶりだけではなく、
プライベートにまでおよぶ情報(恋人や子供など)を
非常に些細なレベルまでつっこんで収集する。
著者はそんなゴシップを、OLたちがどのように意味づけているのかを
以下のように分析します。
・誰でも参加できる娯楽【p74】
OLは長い時間を社内の同僚と過ごしますが、その実彼女たちは必ずしも親密な関係ではない。
彼女たちにとっては職場が、学歴(短大卒か大卒か)、勤続年数、年齢(若さ)、
人気(容姿)、結婚、家庭階層etc…などの要因が複雑にからみあう、
コンフリクト(摩擦/衝突)が生じやすい環境になってしまっているから。
そんな環境でゴシップは、共通の「敵」としての男性社員や上司を扱うことで、
弱者としての彼女たちに連帯の機会を提供します。
ゴシップは強者であり敵である男性社員に抵抗する武器になるのです。
また彼女たちは出世競争から疎外されているがゆえに、ゴシップを通じて
「企業戦士」としてあくせく働く男性社員や上司を「観察対象」として楽しむことができる。
このように弱者の立場からOLは男性社員や上司に抵抗したり、観察したりするのですが、
著者はこの戦略には「罠」があると指摘します。
その主張の論理構造はどのようなものでしょうか。
○ジェンダー・トラップ(gender trap)…OLの抵抗とステレオタイプの再生産
OLの日本企業における弱者としての立場は、
確かに性差別的な差異を強調する論理に基づいています。
OLはその性差別的状況を、女性性を強調する
(女だから男の社員と同じだけの責任をもつ義務はない、
女だから男性からちやほやして、精神的に尊重されなければ働かない)ことで、
男性社員や上司に抵抗する。
ところがこの抵抗が、「女性は感情的だ」「女性には難しい仕事は任せられない」
「女性は仕事への責任感がない」などの性的なステレオタイプを再生産し、
結果として職場の性差別的な構造を温存してしまうのです。
※同類の構造をもつ関係は意外にあるものです。例えば
・国民(選挙民)と官僚/政治家の関係
「政治に保護/補助を必要とする弱者としての国民(選挙民)」は官僚/議員の闘いを
傍観者としての立場から、エンターテイメントとして観察する。
官僚/政治家はこのような衆愚的な国民像を(勝手にイメージし)、ステレオタイプとして設定。
強者としての官僚/政治家が先頭に立ち無知蒙昧な国民を導いていかねばならない、
というスタンス(パターナリズム(paternalism:温情主義)で政策を組み立てる。
結果、極めて不備の多い、間接民主制・議員内閣制の構造が温存される。
○考察
日本企業の職場環境に話を戻しましょう。
私たちはジェンダー・トラップを回避し、
性差別的な日本企業の職場環境にメスを入れることができるでしょうか。
そのメカニズムは。
・家事や育児を「しない」労働者モデル
→日本企業における育児休業が法的正当性を認められたのは、
1991年の育児休業法成立以降のことです。
それまで、家庭や育児を支えてきたのはもちろん、ほとんどが女性です。
この偏重は、男性と女性をめぐる職種・制度と労働・生活環境をめぐる
極めていびつな構造が支えていました。以下の通りです。
【男性】
≪職種・制度≫総合職…全国転勤あり/勤続年数に比例したキャリアアップ
≪労働・生活環境≫長時間労働・残業
【女性】
≪職種・制度≫一般職…転勤なし/勤続年数によるキャリアアップなし(短期間の勤務を想定)
≪労働・生活環境≫家事、出産、育児、子の教育
つまり、家事、出産、育児といった大変負担のかかるタスクを女性が一手に負っていたからこそ、
男性は転勤や残業、休日出勤ができる、という構図だったのです。
哲学者のイヴァン・イリイチは、
資本主義経済の労働力再生産を支えるこれらのタスクを
「シャドウ・ワーク」と定義しました。
1980年代以降、シャドウ・ワークをめぐる男女の「闘争」が一般化、
結果「新・性別役割分業」(男は仕事・女は仕事と家庭)という規範が生まれます。
新・性別役割分業は上記の構造が硬直化しているがゆえにある意味、
「代替案」として登場した感がありますが、結局女性の負担は
(男は仕事・女は家庭:専業主婦)の頃より重くなりました。
そうこうしているうちに、日本経済はシュリンクし、労働条件をめぐる競争激化と
労働条件そのものの悪化(ボーナスカットなど…)が深刻化していきます。
ダブルインカムでないと家計の算段、出産、育児を到底こなせなくなっていく状況のなか、
現在の女性の憧れは「新・新性別役割分業」(男は仕事・女は家庭と趣味)になっています。
しかしもはや「専業主婦・たまに趣味」という生活を謳歌できる人は少数派です。
「新・新性別役割分業」は理想形にすぎない。
女性は家計を支えるために働かなくてはならないのに、上記の構造はほとんど変わらず、
出産・育児の過剰負担は相変わらず女性に押しつけられている。
そのためキャリアアップを諦めなければ、タスクをこなせない。
男性は男性で相変わらず長時間労働を強いられ、家庭にリソースを費やせない。
これでは再生産と税収が滞り、少子化が進むのは無理もないのです。
日本社会において、少子化を本当に食い止める気であれば
(「少子化でもいいじゃん」という立論もありえますし、あります)
・男性の長時間労働への規制
・職場の育児環境整備(ソフト・ハード)
・地域の育児環境整備(ソフト・ハード)
は必須でしょう。
現代の日本において
男性は「労働」についての思想の転換を迫られています。
女性は母性という幻想から脱却し、「出産」「育児」をきちんと「タスク」と認識し、
(上記では述べませんでしたが、もちろん介護も)
「タスク」をしかるべき人間に振る戦略構築、
またそれを可能にする技術の習得を要請されています。
これから家庭を創ろうとする若い男女が熟議を通じて
上記の宿題をクリアしたとき、家族生活と労働をめぐる景色は変わっていくのではないでしょうか。
【読書記録】暴走族のエスノグラフィー−モードの反乱と文化の呪縛−
暴走族のエスノグラフィー―モードの叛乱と文化の呪縛
佐藤郁哉(著)
新曜社
エスノグラフィー第2弾、今回は「暴走族」です。
「暴走族」という言葉、私など大都市郊外の新興住宅地に身を置くものとしては、
遠い昔の話のように聞こえるのですが、
(私が小学生ぐらいまでは、週末の夜、彼らが近所の幹線道路を
賑やかしていたのを覚えています)
今も日本のどこかにいるのでしょうか。
というのも、本書にも記述のあるとおり、昭和50年代末(1980年初頭)以降、
統計上は急速に減少していったからです。
とはいえ昭和40年代末以降登場した暴走族は、警察との抗争、奇抜なスタイル、
マスメディアの報道などいくつかの特徴も相俟って、高度成長期の日本における一つの
「文化現象」ともいえる強烈な印象を後世に残したといえるでしょう。
本書は、社会心理学・社会学を専門にする著者が、
実際に一年間、京都の暴走族と「行動を共にしながら」、
(つまり、集会に参加したり、彼らと語らいながら)
書き上げた暴走族のスケッチです。
彼らの現実から見えてくるものは、高度成長期の日本における消費社会のメカニズムと
文化の創造・表現をめぐる私達が今なお抱える、普遍的な課題です。
○要約
暴走族をめぐっては、本書が登場するまで、彼らを駆り立てる理由として、
「受験競争からオチコボレた不満」「欲求不満」「自己顕示欲の解消」など、
若者の「心理学的」要因を挙げる学術的研究が中心でした。
ただし、このような研究では実証的データが示されることがほとんどなく、
時には「潜在的な不満」といったあいまいな理由が掲げられるものなど、
信憑性に疑問符をつけたくなるような研究も少なくなかったそうです。
著者はこういった側面を厳しく批判し、
「遊び」としての暴走(第一章:スピードとスリル)、
「創造的行為」としての暴走(第二章:ファッションとスタイル)を
アンケートやインタビューを通じて明らかにし、
暴走行為を魅力ある、「彼らが惹かれるのも当然な」行為として評価しています。
彼らのことばを借りてみましょう。
【p69:暴走の快感】
「みんなが、こう、フィーリングがバッと合うたときにな、
なんか、なんかが分かんねん…(中略)
走ってると、一心同体になってると思ったときがサイコーなんや。
スピードにノッてな。そういうときが、もう、サイコーやな。」
→「走る」という共通の目標に向って、団体行動をとる快感が述べられています。
統制の取れた集団行動は宗教的陶酔を帯びる、
私達もスポーツなどで経験したことのある快感。
無秩序のようでいて高度に秩序化されている、近代的に馴化された身体の感覚。
【p85:車の改造について】
「まず、車高落とすやろ。そんで、ゴッツいタイヤとホイールにして…(中略)
内装は、こら、キリないわ。紫とか赤のじゅうたん敷いたり、
シャンデリアさげたり、マスコットつけたり…、
コンポはまあ、必需品やな。エンジンは、いじりだしたら、キリないで。」
→改造のための部品は市場に出回っており、
改造費に50万以上かける者もザラだといいます。
車周りの部品は毎年モデルチェンジし、他の消費財とおなじように
絶え間ない革新と流行がある。
かれらはこういった部品の情報を交換することでコミュニケーションを楽しみ、
(お金のある限り)自分なりのカスタムを愉しむ。
そしてその車は「彼らしさ」を帯びるようになり、
お互いのスタイルを評価することを通じて、また彼らを部品の消費に駆り立てます。
そんな暴走を楽しむ彼らですが、いつまでも暴走しつづけるわけではないようです。
【p263:日常への回帰】
「もう、うちら十七やし、オバンやしな。もう、オチツカなかんわ」
→「オチツク」というのはつまり、暴走族からの卒業を意味します。
彼らの間では、いい年(20代を過ぎて)をして暴走し続ける者は「イチビリ」として
非難の対象となってしまいます。暴走は若者のある時期だけに許される「非日常」なのです。
「オチツイ」た彼らは、かつてくだらないものとしていた家庭生活や職業生活に入り、
そこにもそれなりの生きがいや現実感があることに気づく。
暴走という「非日常」の思い出は、かつての仲間との酒の場での語らいを通じて、
現在を生きる彼らのそれぞれの立場から解釈され、都度あらたな意味が付与されます。
○考察
このように、彼らのことばに耳を傾けてみると、
私達の多くが同じような経験をし、同じような楽しさを
味わったことがあるということに気づかされます。
以下、現代の若者との共通点と相違点を整理してみましょう。
《共通点》「消費」の感性【P98】
暴走族の若者は「モノ(商品)」としての車の部品を消費し、
それを組み合わせる事で彼らのスタイルを作り上げていきます。
この点、ファッションを例にとると分かりやすいですが、
現代の若者も、どんなブランドのアイテムを身に着けているか、
またどんな雑誌のアイテムを「好きそうか」など、
彼の周辺に存在するモノとその評価と、彼のスタイル(かっこよさ)が
イコールとなっている。
《相違点》「日常」と「非日常」(祝祭:カーニバル)をめぐる感覚
著者は暴走族の暴走行為を、帰るべき「日常」を前提とした
「非日常」の祝祭(カーニバル)になぞらえます。
当時の比較的良好な経済環境と豊富な労働市場は、
彼らに帰るべき「日常」を用意していた。
暴走族が費やす若き日における祝祭の幾年は、
「日常」の社会秩序を維持するための安全弁であると。
翻って今日の若者はどうでしょうか。当時の暴走族の若者のように、
「日常」に帰ることのできる者はもちろんいます。
とはいえ、そうでない者も多い。労働で「自己実現」出来ない者。
ブラック企業で心身をすり減らし、ワーキングプアに留まり続ける者。
現代にはいくつ何歳になっても、祝祭の毎日に留まり続ける若者がいるのです。
当時のような経済環境と労働市場は望むべくもないから。
(社会学者の鈴木謙介はこの状況を『カーニヴァル化する社会』と表現しています。)
○カーニヴァル化する日常を生きる私達の文化戦略
このように概括すると、「暴走族」ができた頃の若者の方が良かったよね、
となりそうです。しかし私は単純にそうとは思いません。
著者も述べているとおり、「祝祭」は日常の秩序、様式のパロディにすぎず、
「祝祭」→「日常への回帰・埋没」を繰り返すだけでは、
日常の秩序や様式にブレイクスルーをもたらす文化の創造は望むべくもないからです。
(実際、暴走族が後世の私たちの生活様式にどのような変化をもたらしたでしょうか?)
現代の若者は以下の2点の戦略をとることで、
文化を創造することができるのではないでしょうか。
(実際に以下のようにして、今日の若者は文化の担い手になっているとも思います)
①自分たちが「オチツク」ことのできる日常を創造すべく社会にアプローチする。
→現代は若者が黙っていても生きがいを得られる社会ではない。
労働による自己承認を望める者ばかりでもない。
下手をすると食う事(生きる事)すらままならない。
このような状況のもと、生の意味を得るためには社会に働きかけるしかありません。
(湯浅誠さんや雨宮処凛さんらの労働運動、「だめ連」の活動などは代表的な例でしょう)
その運動プロセスを通じて、新たな生活様式を社会に問うことができるかもしれません。
②日常との距離感を保ち、日常を相対化する
→「皆が充実した生を送る日常」(「幸せな家族」など)が得られなかったり、
信じられないならば、そこへ埋没・着地せず、
常にカーニヴァルのモードを転換し続け、日常を「対象化」した表現をし続けること。
そうしてカーニヴァルとしての日常を送る者から、
日常に対する鋭い批判やメッセージが発せられます。
(例として、森田芳光さんの『家族ゲーム』などが浮かんできます)
文化は、私達の日常との闘いから創られるのではないでしょうか。
【読書記録】アップタウン・キッズ−ニューヨーク・ハーレムの公営団地とストリート文化−
アップタウン・キッズ―ニューヨーク・ハーレムの公営団地とストリート文化
テリー・ウィリアムズ(著)
ウィリアム・コーンブルム(著)
中村 寛 (翻訳)
大月書店
ニューヨーク・ハーレム。
またはアップタウン。
そしてプロジェクト(公営団地)。
これらの言葉が、アメリカにおいて発せられる際、既に
「貧困」「ドラッグ取引」「人種隔離」「暴力」「福祉依存」
といった、ネガティブな意味が付与されていると言われます。
著者のテリー・ウィリアムズ、ウィリアム・コーンブルムは、
この地区において、人々の生活をフィールドワークを用いて研究してきた
「エスノグラファー」(後述)です。
著者はアップタウンの若者と共に生活をし、語り合うなかで
彼らの生活のリアリティを抽出していく。
そこから得られる知見は、実に多様で示唆に富んだものです。
○要約
アップタウンの公営団地には多くの黒人、ヒスパニックの若者が住んでおり、
本書の主人公も「そういった若者」です。
ところが当然、彼らの行動様式・能力・趣味・嗜好は多様性に富んでいます。
大学院に通う者、ラップミュージックに傾倒している者、
ドラッグ取引に手を染めた過去をもつ者…
ニューヨークの産業構造、家庭環境、公教育へのアクセス、
友人関係、コミュニティの支援など、マクロ−ミクロの要因が
彼らの人生を規定しているようです。
例えば、ニューヨークの産業構造。
ニューヨークは、世界の金融基地、文化の中心として現在は名高いですが、
1960年代〜70年代初頭までは、製造業の集積地でもありました。
しかし、これはニューヨークに限らず全米、
日本の大都市にも当てはまることですが、
大都市の製造業は70年代以降顕著に、地価の上昇によるコスト圧迫、
海外との競争激化などの影響を受け、安価な労働力と広大な敷地を求め、
工場を海外に移転させます。
しかしそこはニューヨーク。製造業の空洞化は金融センターとしての機能強化と、
企業向けサービス産業(コンサルティングなど)、小売サービス産業の台頭により
カバーされ、「世界都市」としての名目を保ちます。
そして何より現代においては文化、つまりアートや音楽産業が
ニューヨークの「創造性」を象徴するものとして、
世界中のクリエイターをひきつけています。
本書において登場する黒人やヒスパニックの若者のなかには、
ラップやアートで名声を得たいと夢見る者もいます。
上記をふまえ以下、CHAPTER3・4のヒップホップに関する部分を紹介しましょう。
○詳述
・ヒップホップ
ストリートは虐げられたマイノリティの生活苦、
「白人文化」への怒り・反逆を栄養にジャズやブルースを生み出してきました。
(ややステレオタイプ的ですが)
現代のヒップホップも例外ではなく、
(「ラップ」はスタイルとしての「ヒップホップ」の一様式です)
アップタウンのストリートより世界中にファンをもつDJやラッパーが生まれ
アップタウンの若者たちは「自らの文化」としてのヒップホップ、ラップミュージックに対して鋭い批評的視点と誇りを持っています。
しかし、その文化によって利益を得ているのは
アップタウンから生まれたクリエイターではなく、
ダウンタウンの音楽産業、それを牛耳る「白人たち」であるという認識が
彼らにはある。
(彼らはそういった白人たちを、「文化を食い物にするハゲタカ」と呼びます)
この搾取の意識は時に「黒いまねをする」白人に対する反感につながります。
ストリートに黒人として生まれ、貧困と暴力のうずまく環境の中育ち、
アフロセントリシティ(黒人文化の視点から歴史や社会現象を解釈する思想)を
血肉化している我々こそ、本当のヒップホップを掌握しているのだと。
このような反感を表明した黒人の男子に対する、
おなじ黒人の女子の切り替えしが秀逸です。
「ヒップホップは学習によって身につくアート形式」であると言うのです。
確かに、ヒップホップを都合よく解釈し、しょうもない暴力と怒りを粉飾した
作品をばらまく白人アーティストは存在する。
しかし、商業的に成功していても、ヒップホップを尊重すべき文化ととらえ、学習し、
ストリートの感性を表現している白人アーティストも存在する。
そんなアーティストは、人格や話し方は「白人的」でもヒップホップの守護者だ。
文化を人格や生活と一体となった、硬直したものととらえてはいけないという
彼女の主張は、非常に印象的でした。
○エスノグラフィーの愉しさと価値
ところで、本書のようなフィールドワークに基づくある集団や事象のスケッチを、
人類学や社会学では「エスノグラフィー(民族誌)」と呼んでいます。
エスノグラフィーの価値とは何でしょうか。私は以下の2点にあると考えます。
・人間の豊かな「主観的意味世界」の救出
私たちは常にある社会集団(○○会社の課長、△△市の住民etc)に属しています。
行政や企業はその社会集団に基づき、統計をとり、事業の計画を立てる。
その中で私達は、等しい価値を持った「1」にすぎません。
ところが、私達は同じ社会集団に属していても、
異なる行動原理や嗜好をもつ個人です。
ですので、おなじ個人として向き合っているつもりの相手から、
統計的判断から、同じ集団にいるならほかのやつと同じだろうと「十把一絡げ」に
扱われると腹が立つこともある。
しかしながら私達も、ある見知らぬ他者や社会集団を理解する際、
統計的データのみを無反省に引用してしまうことがないでしょうか。
それどころか、時には他者を前にしても、統計データの印象だけを根拠に
その人となりについて解釈や発言をしてしまうこともある。
当然ながら他者も自分と同じように、複雑な行動原理と嗜好を
持っているということ忘れて。
このような他者とのコミュニケーションをはかる上で非常に重要な、
他者の主観的意味世界(行動原理や嗜好のもとになる「世界観」)を
偏見に囚われず味わう技術や愉しさをエスノグラフィーは提供してくれます。
・「過剰な言説」の問い直し
ある社会や集団は、歴史的経緯から繰り返し語られ、
人々に特定のイメージが強く植えつけられていることがあります。
(その語られ方を人文社会系の学問では「言説」といいます。)
例えば「沖縄」と聞いて私達は何を頭に思い浮かべるでしょうか。
「青い海」「米軍基地」「三線の音色と島唄」「優しくほほえむおばあ」
「助け合いのコミュニティ」…
このような言説とそれに付随するイメージは、一旦成立してしまうと、
当社会や集団に対する事実認識を難しくするばかりか、その言説とイメージを
「求めて」「合わせて」人が言動を調整することも少なくありません。
(例えば、「大阪のおばちゃん」はカメラを向けられると、
「大阪のおばちゃん」らしく陽気にふるまうなど)
エスノグラフィーはそうした言説やイメージの過剰によってかかった
霧のようなものを晴らす知見を提供してくれます。
○ひとこと
本書は決して安くはないですが、
ドラッグや貧困問題、ストリート文化に興味がある方などには
是非読んで頂きたいです。
良いエスノグラフィーは知識を得られるだけではなく、小旅行に行った様な
文化経験に近い愉しさがありますので。
【都市探訪】福島県会津若松市 〜会津武士道・白虎隊の社会学(その1)〜
黎明の宇都宮を発ち会津若松に向かいます。
黒磯駅で乗り換えなければならなかったのですが爆睡により華麗にスルー。
1時間待ちぼうけして、何事もなかったかのように後続列車に乗車。
郡山駅で磐越西線に乗り換え、会津若松駅に降り立ったときにはもうお昼前でした。
会津若松市。会津地方の中心都市です。
恥ずかしながら私、「会津」および「会津若松」についての予備知識はほぼ皆無で、
知っているのは「磐梯山」と「渡部恒三」ぐらいのものでした。
ちなみに高村光太郎「智恵子渉」の名高いフレーズ、「あれが安達太良山、あの光るのが阿武隈川」
の安達太良山と阿武隈川は会津だと思っていました。
(正しくは福島県中部地方「中通り」の二本松市にある。)
※余談ですが二本松にも行き、光太郎と智恵子がよく登ったという丘に足を運びました。
安達太良山と阿武隈川を目視済みです。ただただ暑かった…
「あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、すんなりと弾力ある雰囲気」みたいに洒落たことの言える
気候風土だったのだろうか、当時のあそこは。
しかも「白虎隊」の拠点が会津若松だったことも、
「白虎隊」がそもそも何なのかも知りませんでした。
そんな体たらくの私ではありますが、今回は都市の観光資源としての「白虎隊」、
共同体を代表する思想としての「会津武士道」に迫っていきます。
※ウィキペディアのデータ「白虎隊」
◇参考文献「会津武士道」(青春新書:星亮一著)
1868年、戊辰戦争。
当時薩摩、長州を中心とした新政府軍は、鳥羽伏見、甲州、宇都宮の戦いにおいて旧幕府軍を駆逐、
軍勢は旧幕府軍の雄藩である会津藩の本拠地、会津若松に迫っていました。
ここでも近代的兵器を具える新政府軍に対し、劣勢を強いられた会津藩兵および旧幕府軍は
会津若松城での籠城戦を展開。
この際、城下に迫る新政府軍と対峙したと言われているのが、13歳や15歳といった少年兵から構成された「白虎隊」です。
白虎隊は少年兵ということもあり、会津藩の予備兵力ではありました。
しかし白虎隊が戦線に投入されるほど、当時の会津藩は劣勢を強いられ、総動員体制を布くしかなかったのでしょう。
白虎隊は転戦をしながら市内の「飯盛山」へと逃れていきます。
山中から市内を見下ろし、若松城の炎上を認めた彼らは、自らの「祖国」の敗北を悟り、
たった一人を残し、飯盛山にて総勢が自刃して果てたのです。
現在、飯盛山には白虎隊員ほか、戊辰戦争時に自刃した武家女性や討ち死にし約200名の女性の霊が眠っています。
飯盛山には現在、多くの観光客、弔問の人々が訪れています。
2006年には小泉元首相も拝礼に訪れました。
驚いたのが第二次世界大戦前、当時の同盟国であったドイツ(ナチス党)、イタリア(ファシスト党)より
寄贈された白虎隊精神を称える記念碑があったこと。
白虎隊の事件が悲劇として消費され、全体主義国家における理想的国民像として称揚されていたという、
当時の政治的状況が感じられます。
さらに、第二次世界大戦後は当時のGHQにより記念碑が破壊され、そののちに復元されたという経緯もあるそうです。
「少なくとも白虎隊事件は「会津藩」を「大日本帝国」と見立てる欲望の渦巻く
当時の趨勢では、反省的に顧みられることはなかったのだろうか?」
「白虎隊事件を美談とした者、教訓とした者、その主体は誰だったのだろう?そして誰に語り継がれているのだろう?」
「現在、白虎隊はどのような物語として、誰に消費されているのだろう?」
「旬死女性の慰霊碑はどのような経緯で、いつ設置されたのだろう?」
様々な問いが私の頭の中を駆け巡ります。
おそらく飯盛山はこれまで、様々な人々の思惑によって利活用されてきたのでしょう。
そしてその都度、飯盛山という空間は再編されてきた。
「死者が眠る霊的空間」「ナショナリズムの空間」「観光地としての商業空間」
「戊辰戦争や白虎隊事件を学ぶ教育空間」「戦争被害に関するジェンダーバイアスが議論され、争点となる空間」として。
現在、飯盛山は一つの空間として多重的に併存している。否、拮抗し続けてきたと表現する方が適切かもしれません。
そのような意味では、飯盛山は会津という一地方にありながら、
その影響力は日本および世界にまで拡がっています。地域という空間を超越しているのです。
それだけではなく、「白虎隊をどのように語るか」という議論はおそらくこれまで、
何百年という時のなかで、星の数ほどなされてきたのでしょう。
そのような意味では、白虎隊は時間を超越しています。
歴史学や歴史社会学には「現在主義」という考え方が存在します。
ごく簡単にいえば、歴史は現在の視点から意味の再構成がなされるというものです。
飯盛山や白虎隊は現在も、私たちの政治的利害や思想のなかに存在し、その影響を受け続けています。
この場所をめぐって、歴史的にこれまでどのような議論が展開されてきたのか。
そして今後、議論はどのように展開していくのか。
それを受けてこの場所はどのように変わっていくのか。
その行方を左右しているのは、現在を生きる我々なのかも知れません。
本稿では白虎隊事件そのものを私がどう評価するかは、あえてしませんでした。
ただし、現在主義の立場に身を置くならばいっそう、そんな議論は思想史の再検討という観点から非常に意義があります。
次回は白虎隊が思想的に依拠していたと思われる「会津武士道」に迫っていきます。
【読書記録】集合住宅と日本人
- 概要
著者はマンション建て替えなどの「まちづくりの実務」に携わってきた政治学の研究者です。
「政治学者がまちづくりの何を?」「マンション建て替えは建築や工学の専門家が関わるのでは?」
と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、集合住宅には管理組合が存在し、地域には町内会や自治会といった住民組織が存在しています。
こうした組織は、住民の利害関係の調整を行うだけではなく、
住民と行政・企業をつなぐ役割を担っている側面があり、
その組織の構造や意思決定プロセスに着目することは重要です。
政治学や社会学はそんな都市や地域のソフト面を設計する際、「使える」のです。
- 考察
著者は住民が政治的主体となり、議論や実践の場に携わることで
結果として地域に「共同性」を構築することを「まちづくり」の正しいマナーと考えています。
しかしながら我々日本人にとって、この「共同性」の認識は難しい。
その認識において抱えがちな問題点を挙げてみましょう。
・「共同性」と「親密性」の混同
人が集まって何かを行ったり、作り上げたりするとき
「親密性」はあってもいいですが、不可欠なものではない。
・「共同性」の追求が他者への排他的な態度を生む
人が集まって何かを行ったり、作り上げたりする、その結果として仲間意識が生まれることがあります。
これは素晴らしいことですが、その仲間意識が強すぎたり、仲間内の価値に固執しすぎてしまえば、
「仲間(われわれ)」と「他者(かれら)」を恣意的に区分してしまったり
(自分のとりまきや、耳触りのいいことを言う人だけ「仲間」にする)
既存の価値に無関心であったり、価値に反したりする人を排除してしまったりする危険性があります。
メディアや巷で「下町」「レトロ」が称賛されるとき、地域で「ふれあい」がしつこく叫ばれるとき、
上記のような問題にふれていないか、私たちは慎重な態度をとる必要があります。
都市においては基本的に皆顔見知りということはあり得ませんし、
どんな人が何をしようと、いちいち誰かに監視されたり干渉されたり排除されたりするいわれはありません。
都市生活の「自由」と「開放性」は何ものにも代えがたい本質的なものなのです。
それでは上記のような問題点を回避し、自由で開放的な都市生活をおくるため、
追求すべき「共同性」とは一体何でしょうか?
- 課題 〜ガバナンスの技術〜
私たちがある都市に住み、生活をいとなむということ。
それは現代では何らかの利益(「通勤・通学に便利だから」「家賃が安いから」
「オシャレな街に住んでいると思われたい」など)
の追求であるという側面は否定しえません。
現代ではその利益は十人十色ではあるけれど、私たちは
自らの利益を確保すると同時に、他者の利益を尊重しなければなりません。
そのために、ルールや制限の設定することは不可欠でしょう。
またその過程で、規範や共通の価値が立ち上がってくることもあるでしょう。
- 例
私:マンションでペットが飼いたい
他の人:ペットがうるさかったり、共有スペースでおしっこをしたりして生活環境が悪くなるのはイヤ
ルール:当マンションでペットが飼いたい人は他の住民の了解を得なければならない
規範:ペットをきちんとしつけられない人は当マンションで飼うべきではない
以上の考察から「共同性」とは
・個人が都市に生きる上で必要な、ルールや制限の公正な設定プロセス
・そのプロセスを粛々と積み重ねるなかで形成される規範や思想
と定義できるのではないでしょうか。
課題は我々が政治的主体として、「お上」や権力者によるお仕着せではない
ルールや制限を設定できるか、ということ。
また誰もがそのルールや制限を納得できるようPRし、
時代に応じてメンテナンスしていく技術を持ちえるかどうか、ということ。
これはなかなか大変なことです。
ではあるけれど、都市の諸問題は「みんな仲良く」だけでは乗り越えられないことは明白です。
ある意味で、技術の習得あるのみなのかもしれません。
1に訓練、2に訓練、3に訓練…