ザ・フェミニズム


ザ・フェミニズム


  • -概要

現代日本フェミニズム史に名を残す2名の論者によって、2001年にリリースされた対談集です。
70年代以降の日本フェミニズムにおける論点の変遷が、
お2人のアプローチの違い、個性からなるかけあいから浮かび上がってきます。漫才のようで面白いです。


  • -考察

政治思想としてのフェミニズムは、「個人的なことはすべて政治的である」という
70年代ウィメンズ・リブのスローガンに象徴されるように、
※ただし、本書のなかで論者はリブとフェミニズムを分けています。
他の政治思想と比べても私的領域を戦場として展開することが多かったのではないでしょうか。



さらにジェンダー(社会的な性)・セクシュアリティ(肉体的・性的嗜好としての性)という
2つの価値をめぐる重要概念が錯綜するがゆえに、良くも悪くも個人のありかたをめぐる論争としても過熱したと言えるのかもしれません。
それがフェミニズムについて世間が「誤解」することに繋がってしまったのではないか。
本書において両論者は、フェミニズムの多様性を議論のなかで提示することで、その「誤解」を解こうとする意思を表しています。



本書において最も重要な対立軸としては、以下であると考えます。
1:ジェンダーは政治的・社会的に広く議論し、セクシュアリティは私的領域にとどめる立場
2:ジェンダーセクシュアリティはあわせて政治的・社会的に広く議論するべきという立場



本書の定義で1は「結婚しているフェミニスト」「リベラル・フェミニズム
2は「シングル派のフェミニスト」「ラディカル・フェミニズム」が該当します。



本書では日本のフェミニズムがこれまで、1の議論に支配されており、
個人の自由を求めるフェミニズムは、国家や制度(結婚)によって縛られるのではなく
性の自由も個人のもとに置かれるべきだ、という2の議論が不当に抑え込まれたという指摘がなされています。



確かにその通りで、これまで2を求めるリアルは、
週刊誌などのセックス・セックスレス特集などで、サブカルチャー的に語られてきた節があります。
そう考えると、セクシュアリティジェンダーは広く、複合的にもっと論じられるべきかもしれません。



その上で2の議論と現代社会の政治的・社会的状況を照らし合わせると、問題も浮かび上がります。
それは今日の階級的格差の拡大によって、低賃金の労働に押し込まれ、
一生を一人で過ごすという人生設計がしにくい階層中下位の人々は、2の立場をとるどころか、
生活リスクをヘッジするために「女らしさ」を磨いて結婚相手を探すという戦略が「現実的」になることです。
※階層上位の人々は「学力」「コミュニケーション能力」「文化的資源(趣味など)」を武器に
シングルで生きるにせよ、結婚するにせよ、生活リスクをヘッジすることがしやすいと言えるでしょう。



「それのどこが問題なのか?」と思われる方もいらっしゃるかと思います。俗な言い方をすれば
・もてない(性的魅力のない)階層下位の女性が社会的に排除される。
・「男らしさ」は依然として、労働環境での既得権益として保存される。
このような事態が進みうると思うのです。


  • -課題

思想としての日本のフェミニズムは、高まる現代日本人の生活リスクにどのように対応するのでしょうか。
またグローバル化がますます進むなか、多様化するエスニシティ(民族意識)をもつ市民にどうアプローチするのでしょうか。
今日の状況を踏まえて「男らしさ」とその解体戦略をどう考察し、進めるのでしょうか。
自由を求めるフェミニズムは「強者の思想」と揶揄されることもあります。
しかし今日までの成果を踏まえ、幅広く「お客さん」を獲得し、便利に使ってもらえるよう
進化を遂げることができれば、フェミニズムの重要性はますます高まるに違いありません。