【読書記録】集合住宅と日本人


集合住宅と日本人(平凡社:竹井隆人著)


  • 概要

著者はマンション建て替えなどの「まちづくりの実務」に携わってきた政治学の研究者です。
政治学者がまちづくりの何を?」「マンション建て替えは建築や工学の専門家が関わるのでは?」
と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、集合住宅には管理組合が存在し、地域には町内会や自治会といった住民組織が存在しています。
こうした組織は、住民の利害関係の調整を行うだけではなく、
住民と行政・企業をつなぐ役割を担っている側面があり、
その組織の構造や意思決定プロセスに着目することは重要です。
政治学社会学はそんな都市や地域のソフト面を設計する際、「使える」のです。


  • 考察

著者は住民が政治的主体となり、議論や実践の場に携わることで
結果として地域に「共同性」を構築することを「まちづくり」の正しいマナーと考えています。
しかしながら我々日本人にとって、この「共同性」の認識は難しい。
その認識において抱えがちな問題点を挙げてみましょう。



・「共同性」と「親密性」の混同
人が集まって何かを行ったり、作り上げたりするとき
「親密性」はあってもいいですが、不可欠なものではない。



・「共同性」の追求が他者への排他的な態度を生む
人が集まって何かを行ったり、作り上げたりする、その結果として仲間意識が生まれることがあります。
これは素晴らしいことですが、その仲間意識が強すぎたり、仲間内の価値に固執しすぎてしまえば、
「仲間(われわれ)」と「他者(かれら)」を恣意的に区分してしまったり
(自分のとりまきや、耳触りのいいことを言う人だけ「仲間」にする)
既存の価値に無関心であったり、価値に反したりする人を排除してしまったりする危険性があります。



メディアや巷で「下町」「レトロ」が称賛されるとき、地域で「ふれあい」がしつこく叫ばれるとき、
上記のような問題にふれていないか、私たちは慎重な態度をとる必要があります。
都市においては基本的に皆顔見知りということはあり得ませんし、
どんな人が何をしようと、いちいち誰かに監視されたり干渉されたり排除されたりするいわれはありません。
都市生活の「自由」と「開放性」は何ものにも代えがたい本質的なものなのです。



それでは上記のような問題点を回避し、自由で開放的な都市生活をおくるため、
追求すべき「共同性」とは一体何でしょうか?


  • 課題 〜ガバナンスの技術〜

私たちがある都市に住み、生活をいとなむということ。
それは現代では何らかの利益(「通勤・通学に便利だから」「家賃が安いから」
「オシャレな街に住んでいると思われたい」など)
の追求であるという側面は否定しえません。



現代ではその利益は十人十色ではあるけれど、私たちは
自らの利益を確保すると同時に、他者の利益を尊重しなければなりません。
そのために、ルールや制限の設定することは不可欠でしょう。
またその過程で、規範や共通の価値が立ち上がってくることもあるでしょう。


私:マンションでペットが飼いたい 
他の人:ペットがうるさかったり、共有スペースでおしっこをしたりして生活環境が悪くなるのはイヤ
ルール:当マンションでペットが飼いたい人は他の住民の了解を得なければならない
規範:ペットをきちんとしつけられない人は当マンションで飼うべきではない



以上の考察から「共同性」とは
・個人が都市に生きる上で必要な、ルールや制限の公正な設定プロセス
・そのプロセスを粛々と積み重ねるなかで形成される規範や思想
と定義できるのではないでしょうか。



課題は我々が政治的主体として、「お上」や権力者によるお仕着せではない
ルールや制限を設定できるか、ということ。
また誰もがそのルールや制限を納得できるようPRし、
時代に応じてメンテナンスしていく技術を持ちえるかどうか、ということ。



これはなかなか大変なことです。
ではあるけれど、都市の諸問題は「みんな仲良く」だけでは乗り越えられないことは明白です。
ある意味で、技術の習得あるのみなのかもしれません。
1に訓練、2に訓練、3に訓練…