【読書記録】OLたちの―サラリーマンとOLのパワーゲーム―


OLたちの<レジスタンス>―サラリーマンとOLのパワーゲーム―
小笠原祐子著
中公新書



レジスタンス(resistance)は一般的に「抵抗」という日本語に訳されますが、
社会学や人類学、政治学の分野において、このことばは「弱者の武器」という
ニュアンスを付与されています。



タイトルが示すとおり、日本の企業社会において「OL」と呼ばれる人々は
(本書の概念では①正社員として、現在および将来にわたって管理的責任をもたない
②深い専門的もしくは技術的知識を必要としない一般事務的、補助的業務を行う
③1985年の男女雇用機会均等法成立後はコース別人事において「一般職」と表記された女性)
男性中心の企業風土のなかで、昇進や昇給の機会を制限され、
あいまいな勤務考課(OLの仕事は、グループで男性社員の「補佐」をする色合いが強く、
個人の仕事の出来を評価されにくい)ゆえに職務権限を抑えられた「弱者」として
扱われてきました。



ところが、弱者としての「OL」はその立場の弱さを逆手に取り、
男性社員に対してさまざまな「レジスタンス」を展開していく。
気に入らない男性社員や上司に対するサボタージュ、ボイコット、総スカンなどの手段を用いて…
著者はOLのレジスタンスを可能にする職場の制度、人間関係、家庭との距離などの
いくつかの要因を、インタビューによって明らかにしていきます。



○要約
本書の中心コンテンツはおそらく「第2章:ゴシップ」
「第3章:バレンタインデー」「第4章:OLの抵抗の行為」でしょう。
そのなかから、本稿では第2章をとりあげてみましょう。



OLたちは、男性社員の仕事ぶりだけではなく、
プライベートにまでおよぶ情報(恋人や子供など)を
非常に些細なレベルまでつっこんで収集する。
著者はそんなゴシップを、OLたちがどのように意味づけているのかを
以下のように分析します。



・誰でも参加できる娯楽【p74】
OLは長い時間を社内の同僚と過ごしますが、その実彼女たちは必ずしも親密な関係ではない。
彼女たちにとっては職場が、学歴(短大卒か大卒か)、勤続年数、年齢(若さ)、
人気(容姿)、結婚、家庭階層etc…などの要因が複雑にからみあう、
コンフリクト(摩擦/衝突)が生じやすい環境になってしまっているから。



そんな環境でゴシップは、共通の「敵」としての男性社員や上司を扱うことで、
弱者としての彼女たちに連帯の機会を提供します。
ゴシップは強者であり敵である男性社員に抵抗する武器になるのです。
また彼女たちは出世競争から疎外されているがゆえに、ゴシップを通じて
「企業戦士」としてあくせく働く男性社員や上司を「観察対象」として楽しむことができる。



このように弱者の立場からOLは男性社員や上司に抵抗したり、観察したりするのですが、
著者はこの戦略には「罠」があると指摘します。
その主張の論理構造はどのようなものでしょうか。



ジェンダー・トラップ(gender trap)…OLの抵抗とステレオタイプの再生産
OLの日本企業における弱者としての立場は、
確かに性差別的な差異を強調する論理に基づいています。
OLはその性差別的状況を、女性性を強調する
(女だから男の社員と同じだけの責任をもつ義務はない、
女だから男性からちやほやして、精神的に尊重されなければ働かない)ことで、
男性社員や上司に抵抗する。



ところがこの抵抗が、「女性は感情的だ」「女性には難しい仕事は任せられない」
「女性は仕事への責任感がない」などの性的なステレオタイプを再生産し、
結果として職場の性差別的な構造を温存してしまうのです。



※同類の構造をもつ関係は意外にあるものです。例えば



・国民(選挙民)と官僚/政治家の関係
「政治に保護/補助を必要とする弱者としての国民(選挙民)」は官僚/議員の闘いを
傍観者としての立場から、エンターテイメントとして観察する。
官僚/政治家はこのような衆愚的な国民像を(勝手にイメージし)、ステレオタイプとして設定。
強者としての官僚/政治家が先頭に立ち無知蒙昧な国民を導いていかねばならない、
というスタンス(パターナリズム(paternalism:温情主義)で政策を組み立てる。
結果、極めて不備の多い、間接民主制・議員内閣制の構造が温存される。



○考察
日本企業の職場環境に話を戻しましょう。
私たちはジェンダー・トラップを回避し、
性差別的な日本企業の職場環境にメスを入れることができるでしょうか。
そのメカニズムは。



・家事や育児を「しない」労働者モデル
→日本企業における育児休業が法的正当性を認められたのは、
1991年の育児休業法成立以降のことです。
それまで、家庭や育児を支えてきたのはもちろん、ほとんどが女性です。
この偏重は、男性と女性をめぐる職種・制度と労働・生活環境をめぐる
極めていびつな構造が支えていました。以下の通りです。



【男性】
≪職種・制度≫総合職…全国転勤あり/勤続年数に比例したキャリアアップ
≪労働・生活環境≫長時間労働・残業



【女性】
≪職種・制度≫一般職…転勤なし/勤続年数によるキャリアアップなし(短期間の勤務を想定)
≪労働・生活環境≫家事、出産、育児、子の教育



つまり、家事、出産、育児といった大変負担のかかるタスクを女性が一手に負っていたからこそ、
男性は転勤や残業、休日出勤ができる、という構図だったのです。



哲学者のイヴァン・イリイチは、
資本主義経済の労働力再生産を支えるこれらのタスクを
シャドウ・ワーク」と定義しました。
1980年代以降、シャドウ・ワークをめぐる男女の「闘争」が一般化、
結果「新・性別役割分業」(男は仕事・女は仕事と家庭)という規範が生まれます。



新・性別役割分業は上記の構造が硬直化しているがゆえにある意味、
「代替案」として登場した感がありますが、結局女性の負担は
(男は仕事・女は家庭:専業主婦)の頃より重くなりました。
そうこうしているうちに、日本経済はシュリンクし、労働条件をめぐる競争激化と
労働条件そのものの悪化(ボーナスカットなど…)が深刻化していきます。



ダブルインカムでないと家計の算段、出産、育児を到底こなせなくなっていく状況のなか、
現在の女性の憧れは「新・新性別役割分業」(男は仕事・女は家庭と趣味)になっています。
しかしもはや「専業主婦・たまに趣味」という生活を謳歌できる人は少数派です。
「新・新性別役割分業」は理想形にすぎない。



女性は家計を支えるために働かなくてはならないのに、上記の構造はほとんど変わらず、
出産・育児の過剰負担は相変わらず女性に押しつけられている。
そのためキャリアアップを諦めなければ、タスクをこなせない。
男性は男性で相変わらず長時間労働を強いられ、家庭にリソースを費やせない。
これでは再生産と税収が滞り、少子化が進むのは無理もないのです。



日本社会において、少子化を本当に食い止める気であれば
(「少子化でもいいじゃん」という立論もありえますし、あります)
・男性の長時間労働への規制
・職場の育児環境整備(ソフト・ハード)
・地域の育児環境整備(ソフト・ハード)
は必須でしょう。



現代の日本において
男性は「労働」についての思想の転換を迫られています。
女性は母性という幻想から脱却し、「出産」「育児」をきちんと「タスク」と認識し、
(上記では述べませんでしたが、もちろん介護も)
「タスク」をしかるべき人間に振る戦略構築、
またそれを可能にする技術の習得を要請されています。
これから家庭を創ろうとする若い男女が熟議を通じて
上記の宿題をクリアしたとき、家族生活と労働をめぐる景色は変わっていくのではないでしょうか。