【読書記録】滝山コミューン一九七四

一人でも多くの方に読んで頂きたい本です。



滝山コミューン一九七四
原武史
講談社



コミューン(仏:commune)
「共通」「共同」「共有」「多数」「平凡」「庶民」の意。
新しい価値観、生き方を模索し共同生活を営む者による小規模な共同社会。



戦後の人口膨張、農村から都市への人口流入にともなう住宅不足解消のため
1955年に発足した日本住宅公団は、郊外の山林原野を切り開き、
数百・数千戸規模のマンモス団地をいくつも開発していきました。
住居タイプの大半が核家族を想定した3LDK。
日本の各地で数万人の人々、数千世帯の家族が、
同じ時期に、ごく限られた空間にて、共同生活を始めることになったのです。



そんな団地のひとつ、滝山団地。総戸数は三千八百戸。
団地の子どもが生徒数の大半を占める、東久留米市立第七小学校。
物語は本書の著者、原武史の回想で綴られています。
「あたらしいまち」で何がおこっていたのか。



原少年が小学校高学年時代を滝山団地で過ごした1970年代前〜中期、
大都市郊外の教育現場や地域社会ではいくつかの重要な変化が生じていました。



◇教育
・PTA改革
1970年代まで、多くの地域におけるPTAの中心となっていたのは
自民党支持層である地域の有力者(地主層)、自営業者、
彼らの指示を受けた校長や教頭でした。
ところが70年代以降、宅地開発の影響で新住民が大量に流入する自治体がふえたため、
それに合わせて、PTAを開かれた児童のためのものにしようと志向する主婦層が
会長や委員に進出。徐々に実権を握っていきます。
当時の教職員組合のなかには、彼女たちを積極的に支援した組合もあったそうです。



・「学校集団作り」の伝播

「学校集団作り」とは日教組を基盤とする
全国生活指導研究協議会」(全生研)という民間教育研究団体が
提唱した教育メソッド。
旧ソ連の教育者、A・S・マカレンコの理論を援用したもので、
大衆社会状況の中で子どもたちに生まれてきている個人主義自由主義意識を
集団主義的なものへ変革する」ことを目的とする。
具体的には、学級のなかに「班」を作り、学校行事、課外活動などの機会に
ポイント制・減点制(「班のだれかが遅刻したら‐1点」など)を活用し、
班ごとに優劣を競わせるということをする。
このメソッドは60年代の中期から、全国の初等教育の現場に伝播していったといいます。



◇地域社会
・革新自治体の台頭
東京の美濃部都政、名古屋の本山市政、神戸の宮崎市政など。
1970年代前〜中期にかけて、日本社会党日本共産党支持層から集票した首長が
憲法の理念を地域に」というスローガンのもと、
社会教育事業を推進。この事業の薫陶をうけ、地域では
主婦を中心にした主体が反公害運動、消費者運動、生協運動などを展開しました。
また、都市の拡張に対して追いついていなかった社会インフラ
(ハード:道路など/ソフト:同和教育・高齢者支援など)
の整備が進んだのも、この時期です。



・新しい住民組織の台頭
戦後、特に1960年代後半頃まで、日本の大都市郊外に存在する住民組織は
地元の自営業者を中心に構成される自治会や町内会、
専業/兼業農家を中心に構成される農業組合ぐらいのものでした。
ところが60年代後半以降、核家族・ニューファミリーが住まいを求めて
郊外へ進出すると、婦人会や子供会といった彼らの生活に関わる相互扶助組織が
台頭していきます。
また創価学会立正佼成会などの新宗教は、
地方から流入し地域で孤立する住民に訴求することで、
地域の中で一定の影響力をもつ共同体を形成していきました。



これらの動きはどれも密接に関係しているのですが、
いくつかの共通した特徴を抽出できるでしょう。以下の通りです。



①主婦や子どもといった従来の政治から排除されていた層の、政治的主体としての目覚め
②階層・性別・年齢など、類似した属性の個人からなる集団が展開する(社会)運動



これらの新たな動きは光と影を生み出しました。



○温情主義と集団による自我の抑圧
上記の変化は決して非難されるべきものではありません。
日本国憲法の理念があまねく国民に浸透した、といえるのかもしれない。



ところが、新しい政治主体を導いていたものが、
実は特定の扇動者であったり、閉鎖的・抑圧的なイデオロギーであったなら。
新しい社会運動が実は、個人の創造性から立ち上がる集合的表現ではなく、
属性を同じくするというだけで有無を言わさず強いられる賦役であったなら。
それは私たち一人ひとりにとって、歓迎すべき共同生活の姿でしょうか。



原少年が滝山団地、久留米市立第七小学校で感じたものは、
まさに温情主義によって操作された集団が作り出す共同体(コミューン)の欺瞞です。
本書はその告白、目撃録です。
ごく個人的な目が、日本戦後思想の蹉跌を浮かび上がらせます。



民主主義は「みんな仲良し」「みんな平等」「みんな幸せ」という
牧歌的なシステムではない。
少数派は暴力によって統制され、多数派は彼らを撲滅・排除しようと欲望する。
政治が資源の分配に関わるものである以上、これは比喩ではなく現実です。
その舞台が地域であっても国家であっても。



少数派を自認するものは同調圧力に屈せず強かに主張する技術を、
多数派を自認するものは安逸な生の背後に潜む暴力への想像力を。


私たちはみな、飼われているのでも飼っているのでもないのです。