【読書記録】貧困の文化―メキシコの五つの家族―

人類学の古典です。
文庫で出版・邦訳されていますが、600ページ以上というボリューム、
主観や解釈を極力排しあらゆる情報を記述するというスタイルから
あまり広くお勧めできる本ではありません。
とはいえ、メキシコ及びラテン文化、貧困問題に興味のある方には是非。



貧困の文化
オスカー・ルイス
ちくま学芸文庫



貧困問題が近年とりざたされています。
「不況」「派遣切り」「非正規労働」「生活保護」…
これらの貧困の議論に付随するキーワードは、日本社会において貧困問題が
経済や雇用の問題、社会保障など制度の問題として理解されている証左でしょう。



ところが貧困問題を理解し、アプローチするためには
貧困層の人々の文化に迫っていかなければなりません。
なぜなら、文化は階層や地域社会、家族という人が生を営む大小の構造のなかで、
親から子へと再生産(受け継がれる)からです。
(例:「医者の子息は医学部に多く進む」「○○区の住民はガラが悪い」などと
人々がいつまでも語ること。※実態と同時に「語りつがれること」も重要)
このメカニズムは、経済や制度ほど普遍的な形式をもたない。
階層や地域社会、家族が多様であるから。
(また本稿ではあえて触れませんが、「貧困」の定義は学問の数だけ存在すると
いっても過言ではありません。「生存に必要な栄養が不足している」
「マイノリティが有する経済的・文化的・社会的資源が剥奪されている」など。)



本書の著者O・ルイスは、貧困には特有の形式をもつ文化が存在することを喝破し、
貧困のメカニズム解明に生涯関心を持ち続けた人類学者でした。



ルイスは「貧困の文化は、地域・国家を超えた普遍性をもつ」と認識していました。
日本にも、都市貧困層を扱う優れた研究がいくつか存在しますが、
まだまだ蓄積が足りない。
したがって貧困が顕在化しつつある現代日本社会に生きる私たちが、
本著作から学ぶことは多いでしょう。



○要約 ※参考:本書の舞台、メキシコシティについてはこちら。
本書では五つの家族が登場します。「村落→都市(メキシコシティ)に移住した家族」
「都市中心部の共同住宅に住む家族」「都市郊外に住む家族」「高所得の家族」…
それぞれが異なる家族形態、食事・衣服・住宅・信仰のスタイル、
金銭感覚、習慣etcを共有しています。
(もちろん家族のメンバーが皆、これらを共有しているわけではないですが)
本稿では、メキシコの貧困層に共通するいくつかのスタイルや習慣を紹介しましょう。



コントラバスゴ・システム
洗礼の際、受洗者(子ども)の親代わりをする儀礼的親(代母/代父という)が
立ち合うことで、洗礼以降子どもと代父・代母の間で一種の親子的関係が
成立するシステム。
また受洗者である子どもの親と代父・代母との間にも密接な関係が生まれ、
双方で「コンパードレ(女性なら、コマードレ)」と呼び合う。
子どもの経済的援助をコンパードレに期待するなど、経済的な扶助関係も生じる。


→コンパードレは近所の住民が指定されることが多いため、
メキシコ下層住民は血縁共同体と地縁共同体が密接に重なり合った強固な
親密圏を構築しているといえます。
信仰共同体のもとで疑似血縁関係が生じるというモデルは、ユニークである一方
世界に存在する拡大親族システムとの類似性もあり、比較研究によって
興味深い知見が得られそうです。



◇父(男性)と愛人
本書に登場する家族の長である父のほとんどが、
貧しいか豊かには関わらず愛人を持っている。
→父の経済的・社会的行動に干渉できない・するべきでないという
規範意識が妻や子に共有されていることも多いようです。
当然のようですが、愛人に対する妻や子の印象は総じて悪い。
とはいえそれは愛情に基づくというより、愛人に家の経済的資源が
流れてしまうことへの怒りに基づくものであるのかもしれない、と
ルイスは分析しています。



◇住生活(ベシンダー)
メキシコの下層住民が集住する共同住居。
一間〜二間の一階屋が一列ないし数列ならび、
共有の中庭に面している。(江戸時代の長屋、炭鉱住宅のようなイメージ?)
数世帯〜数百世帯が同じベシンダーに居住しているため、
住民の間には家族的な一体感がみられることが多い。
また、住民による自発的・非制度的な相互扶助システム
(例:タンダと呼ばれる無尽講のようなもの)【p105】が存在することもある。
一方で多くのベシンダーが慢性的な水不足と衛生設備の不備に悩まされている。



◇食生活
メキシコの下層住民はトルティーリャ
(とうもろこしの粉や小麦粉を練って薄く引き延ばしたもの、
トルティーリャに具を挟んだものがタコス)、チーレ(唐辛子)のソース、
フリホーレス(いんげん豆)の煮豆などを食べている。
アメリカ式にパンやハムエッグを食べているのは中流〜上流階層に限られるが、
コーヒーは下層住民も日常的に飲んでいる。
トルティーリャは家庭内で作られることが多いが、
小売りしているものを買う家庭もあり、下層住民間でも姿勢の相違がある。
(主食であるトルティーリャには、メキシコ住民にとって象徴的意味がある)



◇信仰生活
メキシコ下層住民のほとんどがカトリック信者といわれるが
教会に対してコミットしている者ばかりではない。
(特に家長は教会に対し批判的であることが多い。)
一方、グァダルーペ寺院(聖母マリアをまつる)や呪医にかかる者もおり、
彼らの宗教性が希薄であるということではまったくない。
また内縁婚(教会を介さない結婚)はメキシコ下層住民の間ではまったくの常識であり、
社会的にも問題とされていない。



五つの家族に共通した特徴としては
・家長(父)の特権的立場
・家事労働における女性の役割の大きさ
などが言えるのですが、本書の知見はもちろんこの程度に収まるものではない。



上記のような生活のトピックにたいして、家族のメンバーは
それぞれがはっきりした目的意識をもち、豊かな解釈をしています。
トピックにたいするメンバーの意識の相違、姿勢の差異が
家族間の争いなど事件につながることも多いようですが、
それはどの世界の、どの家族にもあてはまることです。



私たちは決して彼らが無知にとらわれ愚昧に安んじているのではなく、
日常に存在する無数の制約と折り合いをつけながら、
創造的に生きているということを認識すべきでしょう。



メキシコも含めて、無知で愚昧な者はどの世界にも存在します。
「児童労働はいけない。教育は子どもが豊かになるために必要だ。」
「信仰は貧しい者が精神安定のためにすがる非科学的行為だ。」
という空疎な言説を掲げる前に、私たちは彼らが何を必要とし、
何を奪われていると感じているのか、その声に耳を傾ける必要があります。



○考察
―ルイスの手法を現代日本社会の貧困研究に適用する―
ところで日本では近年、社会が分断されつつあることを指摘する議論や概念が
社会に提出され、注目を集めています。(「下流社会」や「プレカリアート」)
ところが、日本特有の「貧困の文化」なるものがはたして存在するのか、
といった問いは、おそらくまだ検証がなされていない。
そもそも貧困研究の手法も、開拓の余地があるというのが現状ではないでしょうか。



本書はメキシコや貧困層に関する知見だけではなく、
ルイスの用いた貧困研究の豊かな研究手法にも着目することができます。
メキシコと日本の違い、時代的変化などいくつかの留保はあるとはいえ、
ルイスが本書で用いた手法を、日本の貧困研究にあてはめて考察してみましょう。



◇貧困と地理/家族/社会集団―日本では?―
ルイスは本研究に先立ち調査対象者の選定を、
明らかに地理学的手法を用いて行っています。
つまり、貧困層が集住する地区や共同住居(ベシンダー)にアクセスしている。
その上で、本書でルイスが名言しているように、小共同体である家族に
研究対象の範囲を限定しています。



ところが、多くの論者が指摘するところではありますが、
日本において貧困(相対的/絶対的)は、地理的に現れる(スラムなど)
ことは少なく、地理的に分散してあらわれる、
そしてその主体は、社会的に孤立していることが多い。
(ひとり親、ホームレス、独居老人etc)。
つまり個人が帰属することで、貧困リスクをヘッジできる社会集団
(家族や会社)との距離(物理的・精神的)が、貧困状況を規定している。



ルイスは本著作で、貧困研究の単位として家族が有効であることを証明していますが、
家族と切り離されているから「こそ」貧困に陥る日本の貧困層に対しては
ルイスと同様の手を用いるわけにはいかないでしょう。



ただし、「家族のメンバーそれぞれの目線から、家族に共通するトピックや事件を
語らせる」という「羅生門的手法」については、
「家族」をほかの集団におきかえることを条件に、大いに活用することができそうです。



上記を鑑みると日本では、ルイスの方法ではなく、
社会的に孤立しがちな(貧困リスクの高い)社会的属性をもつ集団に
アプローチをすればよいように思えます。
ところが、ここで注意すべきは、
貧困研究のつもりが社会集団の研究に転化してしまう危険性です。



※つまり「貧困層に特有な文化」が割り出せず、「シングルマザーの文化」
「ホームレスの文化」など個別の社会集団のメカニズムが見えてくるにとどまる。
もちろん、これだけで十分意味のある仕事です。
ただ、特定の社会集団に対するステレオタイプの再生産に
つながってしまう危険性もあるでしょう。



そこで、貧困リスクの高い複数の属性を有する層それぞれを比較し、
(例:独居者Aさん/シングルマザーBさん/…)
その複数属性の間に存在する共通のスタイル・慣習を見出すことで、
貧困層に特有な文化」を浮かび上がらせる。
加えて貧困支援・「貧困ビジネス」に携わる方々が主張する
貧困認識や思想、理論に検証を加える。



以上の方法については、検討の余地があるのかもしれません。
そのための理論的・技術的障壁は、山積していると想定できますが…