【地域】マクドナルドと地域社会

あけましておめでとうございます。
年明けらしくありませんが、今回はマクドナルドの話を。



マクドナルドに行くといつも思うことがあります。
それは、マクドナルドが地域社会のようすを非常によく
反映しているということ。



たとえば、私がよく行くマクドナルド。
この店舗は名古屋市の東部、国道沿いにあります。
国道の裏には高校があり、その周りを住宅街が囲んでいる。



昼間、まず目立つのは小さい子供連れの若いお母さんたちです。
お母さんたちはここで、保育園や幼稚園、生活に関する情報交換をしている様子。
またこの店舗では「ママ会」のようなものが定期的に開かれていて、
店では予約の受付などもしているそう。
子どもは遊戯スペースだけでなく店中を駆け回っています。
嬌声は止むことがない。



学生。部活帰りの高校生グループは、
テレビや恋愛の話題で盛り上がっていて、こちらも賑やか。



また、近所に住んでいると思われるお年寄りもちらほら。
いつも読書をしたり新聞を読んだりされています。



夜になると少し様子が変わります。
単身者とみられる若いサラリーマンは、退社後にもかかわらず
かかってくる仕事の電話を受けながらハンバーガーをかっこんでいる。
大学生らしきカップルはサンダル履きのラフな格好でくつろいでいる。
そして受験生。どのテーブルも参考書が山積みです。



この店舗のようなマクドナルドは日本全国にあるでしょう。
都市中心部の店舗や、もっと郊外のショッピングセンター内にある店舗などは、
少し様子は違うと思いますが、その地域にいるであろう様々な属性の住民を
だいたい捕捉しているという点は共通しているはず。



一民間企業にすぎないマクドナルドが、地域の多様な住民をひきつけ
地域の縮図のような場になっている。
この現象は、どのように説明できるのでしょうか。



マクドナルドは商品・サービスが安いから
お金のない若者や学生も含め、地域のいろいろな住民が来ることができる」
という説明はもっともらしいですが、
少し説明が足りないような気がします。
なぜなら、マクドナルドのようにお金を取らず、
無料でサービスを受けられる図書館などの公共施設があるにもかかわらず
こういった施設よりマクドナルドの方が、
多様な住民をひきつけているように思えるから。



とはいえ、マクドナルドを
図書館などの公共施設と比較して、
その共通点や違いを考えてみることで、説明を深化できるかもしれない。
たしかにマクドナルドは子どもやお母さんにとっては児童館、
お年寄りにとっては公民館、
学生や受験生にとっては図書館のように使われています。
「公共施設のようなもの」と言えなくもない…



図書館のような公共施設は、政治学社会学では
「公共財」(public goods)として定義されています。
「公共財」は道路や水道などのインフラから、
教育制度や法律などのかたちのないものまでが幅広くあてはまるのですが、
これらには共通の特徴があります。



①大量生産・統一規格
公共財は、沢山のひとが大量に、ある一定の期間使用する
ことを想定して設計されます。
そのため設計には膨大なコストがかかるため、
往々にしてスケールメリットを活かしてつくられることになります。



②非排除性
公共財というものは、管理者(行政など)が
お金がないなどの理由をつけて、特定の利用者にたいして
「使うな」と言うことができません。
(お金がない人は、道路を歩いてはいけないはずないですよね)
つまり公共財には、どんな人でもアクセスする権利があります。



以上の公共財の特徴をみてみると、
何だかマクドナルドにも当てはまるように思えます。
何といってもマクドナルドは大概どの国・地方にでもあるし、
たいてい同じ商品・サービス・店舗の規格です。(大量生産・統一規格)



そして上述のようにいろいろな人がいる。
風体のあやしい人やぐっすり寝ている人がいても見逃されている感もあります。
(非排除性)
もちろん、お金がまったくない人は入れないので、
公共施設と全く同じではないですが、
100円あればだれでも、どれだけでも居続けられるという点では
きわめてハードルが低い。



このように考えると、マクドナルドは地域住民にとって
「公共財」として扱われているということが言えるのではないか。
言い換えればマクドナルドは「公共財」である公共施設と同等か
それ以上の機能を、地域社会において有している。



とはいえ私はマクドナルドが地域住民共同のプラットフォームとなり、
新しい公共性を育むモデルとなるなどと言いたいわけではありません。
民間企業である以上、利益が上らなければ当然、
彼らは地域から撤退しますし、現に都市部の店舗の整理は着々と進んでいると聞きます。
こういった摂理を考えれば、マクドナルドは地域に定着する場ではなく
地域のあいだを市場をもとめて浮遊する一介のプレーヤーにすぎないと
認識するのが妥当でしょう。



しかし地域の住民はたしかに、(店舗があるかぎりは)
地域の公共財である公共施設を使うように
それぞれの思惑でマクドナルドを活用し、生活の一部に組み込んでいる。
そこには地域に応じた特徴も見られますし、
どうやら公共性のようなものも存在している。



反グローバル運動や、アンチ・マクドナルド派が
スルーしているのはこの実態ではないか。
もちろん彼らの主張も重要です。
マクドナルドの営業戦略のかげで、労働現場や生産現場
グローバルな構造に隠され、被害をこうむっている実態はあるでしょう。
また「地域の食生活の多様性を損なう」という主張も、
さもありなんと思います。
(とはいえ私はマクドナルドも所詮、人々の食生活の一部に過ぎないと
感じざるをえません)



しかしマクドナルドを批判するのであれば、
彼らは当然世界各国の、それぞれの地域において
マクドナルドが果たしている機能に思いを馳せて
場合によっては代替するモデルを提示してもよいのではないでしょうか。



他の民間企業とは違う役割を、マクドナルドが地域で演じているのは
おそらく間違いない。
とりわけ先進国の地域社会においては、功の要素も目立つ
マクドナルドを、私たちは冷静に評価しなくてはなりません。