【地域】山村の限界集落と都市の限界集落


『限界集落と地域再生』
大野晃(著)
静岡新聞社



本書は「限界集落」という概念を提唱した論者による事例研究の書。



限界集落とは、本書の定義によれば
「65歳以上の高齢者が集落人口の50%を超え、
冠婚葬祭をはじめ田役、道役などの社会的共同生活の維持が困難な状態にある集落」
を指す。



このような集落は現在全国に2000以上あると言われ、
(2006年国土交通省「過疎地域等における集落の状況に関するアンケート調査」)
山村の住民、農林業関係者に留まらず、その存在とゆくすえに関心が集まっている。



さて今回は、本書の豊富な事例をもとに、
本書ではあまり触れられていない都市の限界集落
―高齢化の進む、大都市市域内・郊外の大規模団地など―
について考えてみたい。



〇山村と都市の限界集落
山村の限界集落にあって都市の限界集落にないもの。
それは2点
①共通の生業(生産の基盤)
②他地域との広域的な関係を前提に期待されている独自の役割
ではないだろうか。



山村の限界集落では、かなり弱まっているとはいえ
農協をベースにした農林業が健在。
また昨今は、地域の特産物のブランディング・生産販売など、
「むらづくり」も共通の生業を立ち上げることが一般化してきている。
(本書では、静岡市葵区有東木集落のブルーベリー・ワサビの事例が紹介されている)



そして、独自の役割については、
本書でも指摘されている通り、水源の環境維持という点が近年、各方面から指摘されている。
(本書では、京都府綾部市の「水源の里条例」が紹介されている)



※現代の日本の山村は、その多くが人工林。人工林は間伐などのメンテナンスが必要である。
なぜなら、メンテナンスができなければ、水量や含有する栄養分の調整も難しくなり、
山村だけではなく、下流の都市や漁村の生活にも危機が及ぶ可能性があるから。
かつて山村はその役割を担っていた。ところが現代の山村は限界集落化によって、
人工林のメンテナンスに人手が及んでいないところも多いという。



ところが都市の限界集落では、上記の2点があてはまる、
あるいは体現している集団や組織は存在しないことが多いのではないだろうか。



○都市の限界集落のこれから
さて、①の共通の生業がないことを「問題」とし、それを立ち上げることは、
地域の問題を解決する重要な方法だろう。
ところが、より重要なのは②の地域外の他者の期待にもとづく独自の役割で、
それを利活用可能な資源を組み合わせて、いかに創りあげていくかが
現代の限界集落に求められていることではないか。



都市の限界集落では、まだ②が見出されていないだけ、と考えてみるとどうだろうか。
もちろん「活動」と「生業」という言葉の間に存在する
大きな溝に着目しないわけにはいかない。
後者なきまま前者を創出することがいかに難しいか、
ということを知っていたから、社会学の巨人エミール・デュルケムは
職業集団を基盤にした人々の連帯の創出に着目したのだろう。



しかし、共通の生業(の創出)を、都市の限界集落のこれからの
唯一の指針として設定してしまってよいのか。
(あるいは、その有無に着目する意義はあるのか。)
都市の限界集落といっても、人口規模・高齢化率・有業率など
その内実は山村の限界集落と同様、さまざまである。



山村では、共通の生業がもともとあった。
都市では、それはもともとない。
もし、この観点から都市の限界集落の今後を考えるなら、
活動や生業といった概念の検討から、都市の限界集落で人々が従事できる
他の方策を導き出す必要があるのではないか。



「ないこと」「できないこと」は
「あること」「できること」は相互依存の関係にある。



「経済後進地域」「何もないところ」という状況を、
「何もないのがよいところ」と読み替えたかつての山村の戦略は、
若者がいない、生産活動の拠点がないことを「問題」として捉えられがちな
都市の限界集落においても、なお有効なのかもしれない。